江戸っ子の蕎麦

江戸っ子の蕎麦

会社から歩いて十数分のところに蕎麦屋がある。行列ができるほどではないけれどおいしくて最近のお気に入りだ。蕎麦屋だけあってお客はおじいさま、おばあさま、おじさま、おばさまが多い。お勤めの人というよりはこのあたりにただお買い物に来ただけの人が多そうだ。そこの蕎麦を食べながらふっと、自分は蕎麦の食べ方が下手だということに気が付いた。

下手、というか、不自然なんですよね。いじめられたヤギみたいな顔で一生懸命もぐもぐもぐもぐ噛んでいるのだけれど、一体何がこの変な感じを起すのかっと思って考えてみる。すすらないことだと気が付いた。

蕎麦は普通、勢いよくすするもの。口にいれたらあまり噛まずに飲み込むのが江戸っ子のこだわりだというが、私はおとなしく、音をたてないようにちまちま食べている。別にすすることができない構造の口になっている、あるいは欧米の方のように音をたてて物を食べるなんて下品!と思っているというわけではなく、洋服につゆが飛び散るのが嫌なのだ。世の女性の服は、最近の傾向として、ファッション性に重きを置いたおかげて家庭で洗濯できない服が大変多い。そんなにかたっぱしからクリーニングには出せないし、金銭的に余裕があってもあまりたくさん洗っていたら服が傷んでしまう。

だから蕎麦にせよラーメンにせよ、注意しいしい食べるわけだ。一滴たりともこの白いドライクリーニングしか許されない服には飛ばすまい、と細心の注意を払って。私としてもできることなら思いっきり江戸っ子よろしくいただきたいが、しかしファッションがそれを許さない。せめて心意気だけでも江戸っ子風に、と思って食べたらさっさと引き上げた。つゆもほんのちょっぴりだけつけた。箸も割り箸で。許される範囲で実行した。

余談だが、蕎麦、と言えば落語の「時そば」を思い出す。いつだったか新年明けてすぐくらいのころに寄席に言ったらトリが「時そば」だった。有名どころもものすごく有名なのが見られて実に楽しかったが、あんな風にいい音を立ててはすすれない。噺家の人はうまいもんですね。架空の蕎麦をあんな風に食べるなんて。もっとも架空だからよりおいしそうにいただくのかもしれないけれど。

空想旅行

ガイドブックが好きだ。

そもそも旅行が好きなのだが、億万長者じゃないからそんなに始終旅をするだけのお金がない。スナフキンでもないから、「僕はハーモニカさえあればどこへでも行けるさ」(こんなセリフは言っていなかったと思うけれどイメージですよ)というわけにも行かない。そこでガイドブックを読んで空想旅行というわけだ。空想旅行は実に楽しい。旅につきものの危険はないし、スーツケースの重さに悩むこともないし、慣れないチップの計算に「えっと、これの15%っていくらだっけ?」なんてこともない。バゲッジーレーンで荷物が出てこなくて青くなったりしないし、勢いで買ってきた現地のお土産に後日首をひねることもない。安上がりにすむし(これが最大だな)最高だ。旅の喜びもないけれど、いわゆる遠足は当日よりも前日の準備が楽しい派にとっては十分それだけで息抜きができる。

空想旅行に行く際、それでも私は実際に旅行しそうな場所のガイドブックを買う。今年行かなくても来年は行きそうな場所だ。それで一通り読んでその国がどんなところか、メジャーな観光スポットはどこか、食事は何がおいしくて、どんなホテルがおすすめで、お土産品は何がよいのか調べる。最近はばらまき用のお土産をスーパーマーケットで購入する人が多いらしく、大体どこのガイドブックにも、その国のスーパーマーケットで売っているその国特有のちょっとおしゃれなデザインの雑貨なんかの記事がある。これも面白い。歯磨き粉なんかずいぶんかわいらしい。フィンランドやスウェーデンのヨーグルトなどの乳製品のパッケージはどれも可愛くて、今すぐ個人的に輸入したくなるほどだ。

それからアンティークファンが増えたからだろうか。市場やフリーマーケットの記事。どうも最近は現地の人の暮らしを知りたい、みたいな人も多いらしく、カフェの紹介にしてもあまりツーリスティックでないところなんかも載っている。確かに、せっかく海外に行ってまで日本人に囲まれているのもどうか、という気はする。

気になるページにポストイットを貼り、なんなら友人と一緒にページをめくって、時間の節約になるからこんな風にまわろうよ、なんて計画を立てるのはずいぶん楽しい。もしかすると実際に行くよりも、こんな風に空想している時間のほうが楽しいものかもしれない。